I believe 2
その少年の名は、シン・アスカといった。
月面に、壊れた機体と、仲間の少女と共に落ちていたところを、助け出された。
そうしてアークエンジェルに収容されるなりアスランに殴りかかり、逆に、見事に殴り倒されて。
「じゃあ、どうしたら良かったって言うんですか！？」
「それを！ちゃんと考えないままに戦うなと言っているんだ俺は！」
「あんたに言われたくない！」
「そんなことはわかっている！」
少年の反撃はカウンターで返され、吹っ飛んだ挙句に、彼はその場で泣き出した。
「・・・お騒がせしました」
アスランはそう言うと、泣きじゃくる少年を、自分の部屋へと文字通り引きずって行く。
「驚いたわ。アスラン君って、あんなことする子だった？」
騒ぎを覗きに来たラミアス艦長が呟いた。
「アスランって、慣れた相手にはかなり横暴ですよ。僕も、あんなふうに殴られたことはなかったけど・・・」
やばいな、と、キラは思った。
あのアスランが、あんなに遠慮なしに言いたいことを言って、挙句殴り飛ばすなんて。
よっぽど、相手を懐に入れていなければできないことだ。
騒々しい二人の後を追いかけて、やめる。
今すぐ、部屋へ戻るのはのはまずいだろう。
そう思い、キラは食堂でアスランを待った。
ほとんど深夜という時間になっても、アークエンジェル艦内は誰かしらが動きまわっていて。その気配に、妙に安堵するのは、寂しいからだと知っている。
うん。僕は、君がいないと寂しいよ、アスラン。
君はきっと、わかってくれないだろうけど。
軽く天井を仰ぎ、コーヒーでも入れようと立ち上がったとき、食堂のドアが開いて、アスランが姿を現した。
いつもどおり、伸びた背筋。
それでも、わずかに心もとない足元と、ほのかに染まった肌の色で、今まで何をしていたのかが、一目でわかって。
「・・・すまない、部屋・・・・・」
「それは大丈夫、開いてる部屋もらうことになったし。それより」
キラを見つけるなり、見当違いの理由で表情を歪めたアスランを捕まえて、キラはその揺らぐ瞳を覗き込んだ。
「前にも言ったよね。僕は、誰かと君を共有するつもりはないよ」
上気した肌の、甘い匂い。
汗を含んだままの髪。
君をこんなふうにするのは、僕だけじゃなくちゃ、嫌だよ？
「君も言ったよね、もうしないって、何度も」
何度も、何度も泣きながら。
僕に、そう誓ったよね？
君は、無意識の嘘つきだけど。
でも、約束を破るようなことはしないはずだろう？
問い掛けつつも、キラはアスランが明確な返事をくれるとは、思っていなかった。
きっと、おろおろと愚にもつかないことを口走るから、それを楯に取って、また苛めてやろうと思っていた。
そう、君は嘘つきで裏切り者でとてもやさしいから。
そんなこと、キラが一番良く知っているから。
しかし、アスランは顔を上げ。
しっかりと、キラをその瞳に映して、言った。
「ああ。わかってる。だから・・・別れよう、キラ」
キラは、呆然としてアスランを見上げた。
揺らいでいた瞳が、悲壮なほど強い光を取り戻し、真っ直ぐに、キラを、射ている。
どうして、そんなこと、言うの。
「自分が何言ってるか、わかってる？アスラン。あの子は、ずっと君を必要としてくれるわけじゃないんだよ？」
「だから、わかってるって言ってるだろう」
苛立ったように言ったアスランに、キラも声を荒げた。
「わかってるわかってるって、君、いっつもわかってないじゃない」
「わかってるさ。お前だって、もう、俺なんか必要じゃない。違うのか？」
自棄でもなく、諦めでもなく。ただ、事実としてそう語るアスランに、キラは返す言葉を失った。
「ア、ス・・・・」
そう、それは、歴然とした事実だ。
キラはもう、アスランに手を焼かせるばかりの子供ではない。
戦争に傷ついて、苦しんで。何もかもが嫌だと泣いていた頃とも違う。
アスランがいなくても、生きて行ける。
「なら、俺は、俺を必要としてくれるあいつの側にいたい。あいつは今、一人っきりなんだ。誰かが側にいてやらないと。・・・それができるのは、今、俺だけなんだ」
真剣に言い募るアスラン。
どうして、君はそうなの。
機能としての存在を嫌がるくせに、機能としての自分しか認めない。
必要じゃなきゃ、側にいちゃいけないの？
必要って、そういう意味しかないの？
それに。
「それで、あの子が君を必要じゃなくなったら、君はどうするの？」
そうしたら、また僕のところに来るなんて、そんな虫のいいこと考えてない？
「どうもしないさ」
しかし、アスランはそうさらりと言って。
「一人で、いいの？」
「ああ」
何でもないことのように、頷いた。
僕は、馬鹿だ。
キラは、アスランの酷く透明な瞳をどうしようもなく悲しく思った。
彼がこういう人間だって、わかってたはずなのに。
どんなに、僕が愛してるって言っても。
どんなに、その子が好きだって言っても。
その言葉は、決してアスランには届かない。
他人の好意に鈍い。もちろんそれもあるけれど、むしろ、自分が他人に好意を寄せられる、ということを、彼は信じることができないのだ。
何度、好きだと言っても。
愛していると、言っても。
ありがとう、と、はにかんで答える彼は、まったくその言葉を信じていないのだ。
アスランのやり方は、キラがようく知っている。
口で何を言っても、時々手が出たりしても。
結局、傷ついている子供には、どこまでもどこまでもやさしく、甘やかしてくれる。
必要としてくれる人がいれば、できることがあれば。自分のすべてを投げ打って、それをかなえようとしてしまうのだ。
だから、あの戦争が終わった後、言葉に長けていないアスランは、キラを抱きしめて、やさしく、痛んだ傷を舐めてくれた。
そうして、キラの傷が癒えたと思った頃、まるで放り出すように、カガリのところへ行ってしまったのだ。
「だったら、アスラン。気をつけたほうがいい」
キラは、絶望的な思いでアスランの袖を掴んだ。
「僕の時と、同じにしちゃ駄目だよ。ちゃんと、最後まで面倒見てあげないと、きっと、僕みたいに君を恨むようになる」
「え・・・、何で？」
そう、そんなふうに無自覚に。
容赦がなくて、酷い。
「僕がもう大丈夫だって、勝手に判断して勝手に行っちゃったでしょ。そんな半端なことされたから、だから、僕は君から離れられなくなったんだよ」
驚愕、という言葉が、張り付いたかのようなアスランの表情。
それでも、キラがしてやったりと思ったのは、一瞬のことだった。
アスランはすぐに表情を歪め、キラから目を逸らした。
「・・・すまない」
気がつかなくて、すまない。
わからなくて、すまない。
至らなくて、すまない。
すぐに自虐に落ちていく彼の気質を、キラとて知らないわけではない。
彼を傷つけた後悔を、苦く感じながら。
キラは、慎重に言葉を選んだ。
「ねえ、アスラン。ちゃんと、その子を助けてあげなくちゃ駄目だよ。ずっと君を誰かと共有するなんて、僕は嫌だから」
アスランが、驚いたようにキラを見上げた。
「仕方ないよ、今だけは、あの子に君を貸してあげる。でも、ずっとは嫌だよ？」
それは、アスランを許す言葉ではなくて。
アスランを、縛る言葉。
君は、僕のものだよ、と。
言いながら、しかしキラは思う。
そう、それでも。
ちゃんと助けてもらった彼が、アスランに本当に恋をすることも。
愛されることに慣れないアスランが、それを突き放せないことも、わかり切ってはいたけれど。
「いや、でも・・・」
うつむいたアスランに、畳み掛けるように。
「それとも君、僕のことは、もういらないの？」
きつく首を振るアスランの頬に、涙が光るのが見える。
「キ、ラ・・・」
その涙に、キラは、そっと口付けた。
翠に瞳に映る、その絶望のあまりの深さに、まだ、気付かぬままに。
どん底にいるときに必要なのは、そこから引き上げようと差し伸べられる手ではない。
そんな、上から与えられるものじゃない。
必要なのは、一緒に、その深淵で泣いてくれる人。
一緒に落ちた、その底で、抱きしめてくれる人。
そのぬくもりだけが、人を、救うから。
それができるアスランは、もっと自分を誇っても良いと思う。
もっと、悲しんでもいいと思う。
そうやって、キラを救ってくれて。
そうして、また後輩だという少年を救うだろうアスランは、決して、その深い淵から這い上がることができないのだから。
彼の脚には、自らつけた、重い鉄の枷がついていて。
そうして、深くて暗い淵の中、のたうち回ることしかできないのだから。
一緒に泣いていたキラが、ひとりでその淵から顔を上げ、世界を見回すさまを。
不思議そうに、見上げることしかできなかったのだから。
「アスラン」
だからキラは、やさしくアスランを抱きしめる。
「あいしてるよ」
決して、届かない言葉を、紡ぐ。
あいしてるよ、あいしてるよ。
そうして、また。
僕は、君を動けなくする。